1998年9月のアレ

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1998年9月


1998年9月30日

密かに FPROGのホームページ を更新する。

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TP535に移行してから初めて らんだむCGりんく の接続テストを行う。ってバナー表示ありの全リストを表示するだけだが。とりあえず全部表示する所までは処理できたが、後がいけない。WZ Editorを開いたらツールバーのアイコンが一つも表示されない。リソースが残り0%になっているのだろうか。 バナーが表示できなかったリンクをいくつか調べてURLを修正した時点でハングアップ。 幸い、ctrl+alt+delでNetscapeだけ殺したら後は何とか使えるようになった。メモリ40MBだとちと厳しいようだ。


1998年9月29日

とりあえず環境を移行できるものだけ移行して、TP535に引っ越して来た。これはTP535で書いているのである。WZ Editorの設定が移行できていないので多少とまどっているが、まあなんとかなりそうだ。NetscapeはUsersディレクトリ下をコピーすればよいのではないか、というアドバイスをいただいたので、その通りコピーした。手順は、
  1. Netscape Communicator 4.06を新規インストールする。
  2. Usersディレクトリ下をxcopyでコピーする
と、これだけなのだが、すると最初にNetscapeを起動した時にプロファイルの作成をたずねてくる。やばいかなと思ったが、まあなんとかなった。

IMEの辞書をコピーするのを忘れてしまったので多少困ったりしている。

§

DoCoMo DP Card 2896p1 のデバイスドライバをインストールする。

  1. c: ドライブで mkdir \Bytecnt を実行。
  2. カードを挿入する。
  3. ドライバが見つからないという表示が出るので、C:\Bytecnt を指定する。
  4. 処理中に何か見つからないという警告が出たら、C:\Bytecnt を指定する。デフォルトパスは今回 E:\Win95 になっていた。
でもまだ動作確認していない。これって下手するとぎゃんぎゃんパケットが出入りして罠にハマるというものだったから慎重にしなければいけないのだが。

§

次はLinkboy DUO128。これが割と難しかったが、設定ファイルとファームウェアのバージョンアップ情報をWebからダウンロードしておいた。まずDUO128を挿入すると新しいモデムを検出したとのたまうので、設定ファイルを展開したものを使ってインストールする。しかしこの状態では実は何も通信できない。さらなる設定が必要なのだ。 とりあえず、次はファームウェアの更新。まず1.11か何かにバージョンアップする。手順中にCOMポートを指定しろという場面が出てくるが、モデムの名称に(COM2)と表示されていたのでCOM2を指定したらうまくいった。ファームウェアの更新というのは失敗したらすべて夢幻となる可能性があるのでスリリングである。ところで、この状態でさらに1.30にバージョンアップしたいのだが、どうなのだろうか。わからん。そこで、とりあえずこの段階でppp接続できるようにモデムをセットアップした。

しかし、ファームウェアの更新パネルで、確か、処理の中止には「中止」か「中断」だかのボタンを押せと表示しておきながら「キャンセル」というボタンしかない、というのは心臓に悪いぞ。このソフト、テストしたのか? こんなの一発で気付くと思うのだが。それとも、実はメッセージを修正する作業に数人月必要だとか…。

接続テスト、といきたいところだが、NIFTY SERVEに合わせる設定がわからなくて困った。こういう時はホームページを見れば済むのだが、なにしろその接続をどうするかという状態なわけだ。それで思い出したのだが、先日、某氏がクライアントからNetscape Communicator を4.06にバージョンアップしたらe-mailが受信できなくなった、というhelpを受け取ったので、対応を考えてe-mailしたと言っていた。それって、相手は読めるのか?

接続方法確認。ここにリンクを書いておけば後で便利なのだが途中ページへのリンクは厳禁なので書かない。ローカルのブックマークに書いておく。しかし以前もメモしたかどこかにsaveしたような気がするのだが、まあいいか。APの電話番号は03-5711-8519または03-5744-8035のどちらか。どちらでもよさそうだが、経験から想像して電話番号が複数ある時は後ろの方が空いている確率だ高い。あくまで確率だから保証はないが、日頃の習慣は恐ろしいというか、そちらを思わず指定する。接続。オッケー、問題なし。

Peopleの方も設定しなければならない。実はppp接続はほとんどPeopleを使っているのである。つまり、パワーアクセス。NIFTY SERVEだと制限時間があるから、時間一杯をFPROGのアクセスにつぎ込むことになっている。とにかくアクセスポイントの電話番号がまず必要なわけで、 インターネット・パワーアクセス Access Points を見て設定。DNSも忘れずに設定する。これは インターネットへの接続方法を見てセット。モデムの選択の画面例がIBM 28.8 MWave データ・ファックスモデムとなっていた。36.6 にアップグレードした方がいいぞ。IBMってところが流石にPeopleだ。NIFTY SERVEの方は忘れたが、まさかTOWNS…。

なにがまさかじゃ、という声はさておき、気になったのが「サーバーの種類」の設定の画面例である。「ネットワークへのログオン」「ソフトウェア圧縮をする」はともかく「NetBEUI」「IPX/SPI互換」もすべてチェックが入っているが、それでいいんだろうか。設定例には悪いけど、逆らって「TCP/IP」だけチェックした状態に設定した。で、DNSは例の画面の通り…にしたんだが、その後で気付いたのだが、例の画面にはプライマリDNSしか設定されていない。それでいいのかと思っていたのだが、本文をよく読めば、セカンダリのアドレスもちゃんと書いてあるのである。一発では気付かなかった。しかしプライマリとセカンダリのアドレス、最初の数字から違うというのは、一体どこに配置してあるのだろうか。接続テストは一発でok。Peopleはppp接続時には「P/」に続けて例の8桁の数字を書く。未だに覚えられないが、メモしてあるので大丈夫。

§

WZ Editorの細かい設定を。

§

DOS窓のショートカットを作成する。

  1. スタート(右クリック)
  2. 開く
  3. プログラム
  4. (MS-DOSプロンプトを右ボタンを押しながらデスクトップへドラッグして)ショートカットを作成

1998年9月28日

fj.lang.cの。 Message-ID: <6ukvpg$d82$1@news.kyoto-inet.or.jp>、 近藤妥 氏による投稿、「C Magazine 10月号 ローテク講座について」に関する違和感について。
 Cマガジンの編集部は、Webと従来のメディアを同列に扱っている事
に疑問を感じませんか?

 NGで口論しているなら、同等に発言権がある分けで、もろに能力差だ
けの勝負ですよね。
というご主張である。予想に反したかもしれないが、Cマガジンがどうとか発言権だとかこの後に出てくる双方向性とかそういうのはとりあえず完全にさておき、 違和感というのはここにNG(おそらくNews Group)が出てくる必然性である。 もしかすると、newsgroupはWWWに含まれる、という発想もあるかもしれない。 Netscape とか使っていると、 最新版をダウンロードする時に、ここまではhttpだからWWWで、ここから先はftpだ、なんて意識してないですから、 httpであろうがftpであろうが見かけはそんなに変わらないというか、ftpはWWWじゃないかとか、既にサービスは融合しているのだという話もあるわけで、newsgroupというのもWWWの一部にしてしまってもいいのかもしれないが、それにしても、ここでnewsgroupという表現が出てくるのがどうもしっくり来ない。Webの掲示板というのは分かる。

しかし、何でか知らないが、fjとかnewsgroupというのはちょっちWWWとは違うような気がする。どっちかというとインターネットか。

しかしCマガジンとWebを同列に扱うというのは、やっぱり抵抗があるぞ、 誰かがCマガジンを全国誌って書いていたけど、その通り。で、fjって全世界ニュースなんでしょ、確か。同列どころじゃないですな。 ましてやWebなんて確かシャトルから通信販売でpc買えるんだから全宇宙的(全はオーバーじゃのう)という感じで、まあ社会に対する影響力絶大だ。 ところでfjの参加者って何億人でしたっけ? :-) このまま進化すれば2010年あたりにインターネットの参加者が地球上の全人口を超えるという噂もあるようだし。 Cマガジンの発行部数はどうなんだとか言われて墓穴にハマる前にこの話題は撤退する。


1998年9月26日

Cマガジンを買う。実は数日前から探していたのだが、普段行っている書店には置いてなかったのだ。いや、普段は置いてあるのだが、なぜか今月はないのである。5、6件ほど回ってどこにもなかったのでどうも不思議だと思ったのだが、ついにヨドバシカメラ新宿店に、平積の(!)最後の1冊があるのを発見、getした。 ヨドバシカメラってポイント還元というサービスがあるのだが、書籍の場合はポイント還元がないから、パソコン関連のアイテムとかソフトを買う時はポイント貯めて、書籍購入に使う、というのがお得なんでしょうか。

ところで、平積みの最後の1冊、ということは売ってないというのではなく、やはり今月号がよく売れたということではないかと思われる。なんでそんなに売れたかというと、やはり「あっぱれご意見番」がお休みになったから…。なわけある?

なまお事件説というのもあるようですが。


1998年9月24日

台風は大変だったようで。こちらはあずさに乗れなかった以外に被害はないようだが、fj.soc.lawとNIFTY SERVEのFLAWで台風の質問が出ていた。簡単にいえば、台風の風で屋根が飛んで他者の財産を破壊した場合、損害賠償の責任があるのか、という話である。 ところが、fj.soc.lawの回答は民法第七〇九条を根拠に損害賠償の責任があるとし、 FLAWの回答は同第七一七条を根拠としたうえで、自然の脅威による不可抗力なので建物に瑕疵があったとは言えず、損害賠償の責任はない、としていた。 どちらが正しいのだろうか?

民法第七〇九条
故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス

同第七一七条の1

土地ノ工作物ノ設置又ハ保存ニ瑕疵アルニ因リテ他人ニ損害ヲ生シタルトキハ其工作物ノ占有者ハ被害者ニ対シテ損害賠償ノ責ニ任ス但占有者カ損害ノ発生ヲ防止スルニ必要ナル注意ヲ為シタルトキハ其損害ハ所有者之ヲ賠償スルコトヲ要ス


1998年9月23日

そこそこ蒸し暑いし天気は悪いし外を歩くと雨が降ってくるし傘がないしもはや言うことない不運な状況。とりあえず鬱なのでゲーセンに行ってドラゴンパレスでプレミアムリーチを出す。

ってちょっと待ってくれ、これって40万分の1の確率なんだろ、一生に一度見ることができるかどうか、なんてパンフレットに書いてあったはずだが、二日も連続で出していいのか?? もしかしてプレミアムリーチって別の何かがあるのか? 私が見たのは肉まんタイプのスロットの場合、いきなりSuper Jackpotが揃った時の背景になって、画面に「当確」と表示され、左から一つずつスロットが逆回転して「竜」が揃う、というものなのだが、わたくし、何か勘違いしているのでしょうか? こちらでざっと計算した限りでは、約2万日に1度あるかないかという状況のような気がするのだが…。

で、10base-Tのケーブルを買って帰ろうと思ってコインを箱に入れて立とうとしたというか、実際立ったのであるが、保留コインでスロットが回ってSuper Jackpotが揃う。どうしても帰らせてくれないようだ。

このゲームの面白さは、Super Jackpotで出るコインの数にある。基本は200〜1000枚。 この幅はどうなっているかというと、ドラゴンパレスというのは10台のマシンが円卓状に接続されていて、誰かがどこかでコインを1枚入れる毎に1枚カウントが増えるのである。 Super Jackpotが揃うと、その時点の枚数の払い出しがあって、カウントは200に戻る。 ということは、全然Super Jackpotが来ないとコインの数はどんどん増えて1000枚まで加算される。このコインはプレイしていた人がつぎ込んだ数なのだ。ここで誰かふらりとやってきていきなりSuper Jackpotが出たりすると、他人が貢いだコインを根こそぎ持っていくことになる。これに注目して、コインがかなり溜まらないとプレイしない人がいる程だ。

私の場合、一旦始めたら保留コインが常に入った状態になっているから、よほど不調でない限りスロットは回りっぱなしである。 こうなると確率の問題だから、たまにしかスロットを回さない人よりは断然Jackpot率がよくなる。ただ、私の場合は平均15回連続ヒットの確変を2回で終わらせてしまうという不運の星をしょっているから、必ずしも確率で勝てるとは限らない。


1998年9月22日

アジトの方からお呼びがかかったので、早起きして出社。とはいっても普通の時間なんですが。新宿駅に20:00に着かないと大変エラいことになりますので、急ぐわけで、前回はとっても大変だったから少し早めに余裕をもって駅へ。まだメシを食う時間があるので立ち食いのウドンを食って、ホームに行ったら、電光掲示板に電車の名前がない。またやまたや、なんでこうなるんや。 駅員に聞いたら台風の影響で全部止まってるって、助けてくれえ。動かないものはしょうがないか。とにかくアジトへ連絡を入れて、電車が動かないから中止ということを告げる。 「でもこっちは晴れてまっせ」とのこと。「東京も晴れとるで。」「…」

なんで止める? > JR

ま、途中だけ台風が通っていると見ましたね。んなアホな。非常に幅の狭い大型台風ってか。しかし単なる複線なんだからどこかでコケたら全線不通はしょうがないか。 とりあえず切符を払い戻してもらう。

§

かなり人生に絶望したのでヤケクソになってゲーセンに行ってドラゴンパレスでプレミアムリーチを出して帰る。


1998年9月21日

TP535と535Eのメモリを増設する。増設といっても8MのDIMMが既に入っているから交換したわけで、余ったメモリは一体どうすればよいのだろうか。やはり万一のことを考えて保存しておくべきだろうか。

早速増設したTP535Eで、らんだむCGりんくのリンク確認を行う。といっても、単に一覧のページを表示するだけだが。メモリは72MBという状況で表示開始。面白そうだからリソースメーターを表示しておいた。最初、85%程度の空きがあったのだが、システムリソースはどんどん減っていく。ついに10%を割った所で警告が表示される。こりゃいかんかな、と思ったのだが、Netscapeが表示終了のメッセージを出した時に、残りが3%だった。なんとかなったわけだが、こうなると分割して表示するとか、何か対策を考えた方がよさそうだ。

ところで、Netscape Comminucatorは4.06にしたのですが、これって何か落ちたりしませんか? こちらでは2回ほど不思議な所で落ちているのだが。再現条件がよく分からない。

それはこっちに置いといて、TP535のインストールだ。 さらにPHSのカード(SII PHS DATA 32S)をインストールする。PCMCIAカードを挿して、新しいハードウェアが検出されるので、FDを入れてやればok。試しにダイヤルしてみるのだが…接続すれども応答なし。なんで? PIAFSのアクセスポイントにダイヤルする時に設定が必要なのをコロっと忘れていたわけだ。ダイヤルアップネットワークのPIAFSの接続に対して、プロパティ-接続の方法-SII PHS DATA 32S、の「設定」をクリックし、「接続」の「詳細設定」をクリック。追加設定の所に「at@O3@B1」を追加する。 これで動作を確認したら、こんどはうまく接続できた。


1998年9月20日

今日はえらくまた蒸し暑い一日になりそうだが、体調が激変する。とにかく頭がくらくらするし、汗はだらだら出る。汗が目に入って、これがまた目に痛いので涙がぼろぼろ出て、これがまた目の下の皮膚を溶かしてどろどろになって妖怪のような顔をして新宿を歩けば周りの人が悲鳴を上げて逃げ惑うわ警察や機動隊は来るわウルトラ警備隊は来るは東京はパニック状態、という所までエスカレートすれば話のネタにもなるのだが、ところがそうは問屋がおろさない。

§

墓場(FPROGORGの会議室)にも書いたが、危ない格言というのがあって、なかなか表に出し辛いのだが変なのを思い付くことがあって、そのうちネタが切れたらこっそり 「今週の格言」にでも出そうかという感じの。

右の頬を叩かれたら左の頬を叩け
つまり、クロスカウンターで威力倍増を狙うのだ。

§

ところで、何でTP535を新規インストールからやり直しているのかというと、どうもSo-net麻雀の挙動も変だし、こちらのソフトウェアだけ世界標準からずれているんじゃないかという不安があるわけで、他にも使わないのにuninstallのやり方が解らないソフトとかいくつもあるので、きれいさっぱり一からやり直したいというわけである。

§

FNETでEvaを見ていることが暗黙の了解となっているのがイヤという意見があったが、 Evaというのが社会的にインパクトを与えた大ヒット作である(と勝手に思い込んでいるだけだったりして)ことに気付かなかった故の悲劇だと思われる。 もちろんそれを見る義務はないわけだが、ドラクエがヒットしたら世の中はドラクエの話題で一杯になるし、たまごっちが売れたらたまごっちの話題になるし、 タイタニックがヒットしたらタイタニックごっこをする人が続出するのはごく普通の社会現象なのである。別にEvaが特別なのではないのだ。しかしこの人Eva知らんといいつつ「いやーんな感じ」だと評しているのだが…。

だいたい私がEvaの話に乗り出した頃は、まだEvaは全然見ていなかった。Webで話題のページを見て話に付いていったのである。アニメを見るよりパロディの同人誌を読むのが先だった。


1998年9月19日

TP535のインストール続行。とりあえずまずディスプレイドライバをインストール。これはThinkPadのページからダウンロードしてきた最新ドライバを使う。次に、最大の難関と思われたSCSIドライバ。PCMCIAのカードはLogitecである。これもホームページからドライバのデータをget。フロッピー上に展開しておき、マニュアル通りの手順を実行する。フロッピーからコピーするのがやたら短時間で終わって「??」状態だが、とにかく信じて再起動するとPnPが働いたのか動作してくれた。これでちゃんとCD-ROMまで認識できる状態になったのでホッとする。CD-ROMが認識できなければ、当然、アプリケーションの殆どが全滅ということになるのだ。

§

次にWZ Editorをインストール。これがインストールされていないと、ファイルのブラウズとか設定ファイルの修正が面倒なので。ところがシリアルIDを入力する所でマニュアルを探し回る羽目になる。

§

次が大ハマり。XJ4336Jのインストールだ。3COMのサイトからダウンロードしたファイルでWindows 95用のインストールディスクを作成して、setupを実行したら、何かエラーが出て設定できない。ヘルプが自動的に開くのだが、英語でキーワードが指定されていて、該当のページが出てくれないのである。モデムが使えないとなると、要するに使い物にならないということになってしまう。MWAVEモデムに移行するという手もないことはないのだが。しかしTP535Eには既にドライバがインストールしてあるというのはどういうことなのだ? フロッピーからインストールしたっけ??

§

モデムが使えないというのはとりあえず保留して、キーボードの論理配置を先に変更しようとする。のだが、手順を忘れてしまってこれまた進まなかった。後で調べたら、

  1. KBDJPADV.KBD を \windows\system にコピーする。
  2. sysedit を使って、system.ini 中の keyboard の指定中、kbdjpa01.kbd となっている個所を kbdjpadv.kbd に変更する。
でよいのだが、この手順は自動化できないのだろうか。ついでにswapscanも入れる。手順もメモしておこう。swapscanはベクターデザインのWeb pageから入手できるはず。
  1. SwapScan.386 を Windows ディレクトリの下の SYSTEM ディレクトリにコピーする。
  2. SYSTEM.INI の [386Enh] セクションに、
          device=SwapScan.386
    
    を追加する。
  3. SYSTEM.INI に [SwapScan.386] セクションを作成し、
          [SwapScan.386]
          IMEHotRAlt=yes
    
    を追加する。

あと、ダイヤルアップネットワークの作成とか、各プロバイダの設定というのが必要になるのだが、全部手作業で設定するというのはきつい。まずダイヤルアップネットワークがどこにもない。標準ではインストールされないらしい。コントロールパネルの「アプリケーションの追加と削除」の「Windowsファイル」の「通信」の「詳細」という所をクリックすると、ダイヤルアップネットワークにチェックが入っていないので、これをチェックしてokを選択する。CD-ROMから必要なデータをコピーするので、CD-ROMを接続しておくこと。しかしダイヤルアップネットワークを追加した所で、肝心のモデムが認識できないのだと動作確認もできない。 というわけで、やはりXJ4336の設定ファイルがないとどうにもならない。もう一度3COMのサイトを調べてみたら、なぜかちゃんと設定ファイルのページにそれらしいものがあったではないか。これをフロッピーにセーブして再度モデムの設定を行うと、今度はうまく行った。

というわけで、まだNetscapeもインストールしていないのだが、とにかく接続だけ可能なことを確認しようとして、peopleあたりから、電話番号を登録して、接続しようとしたら、いきなり切られてしまう。パスワードを間違ったか、と思って何度かやってみてもうまくない。で、気付いたのだが、接続のプロパティを全然設定していなかった。つまり、DNSとかのことである。そこで、これらも設定し直して、再度挑戦。でも全然うまくない。パスワードの確認の所で切られてしまう。なぜだ〜。

って長々と書いてもしょうがないので答えを。つまりTCP/IPをまだインストールしていなかったのである。わははは。笑っている場合か。TCP/IPもインストールする。コントロールパネルのネットワークの所で、プロトコルの追加だ。再起動してもう一度接続テスト。今度はさすがにうまく行った。connectしただけだが、とりあえずftpを実行できたので問題ないだろう。

ここらで気力が0になったので、作業を中断することにする。残る作業で大きいのは、PostPetとNetscapeのインストール。これらは新規インストールだけでなく、現在のデータをコピーしなければならない。どうすればよいかは全然分かっていない。MWAVEもインストールしていない。


1998年9月18日

TP535にWindows 95をインストールする。これがまた難問なのだ、なにしろCD-ROMドライブを認識しない状態でどうやってCD-ROMを読むかという話だから。これはしょうがないからdebugを使ってHEXを打ち込み…

なんて訳にはいかないから、工夫するべし。SCSI PCMCIAカードが使える状態にしたDOS 7.0の起動FDを用意する。これがなぜかCD-ROMを認識しない。多分、ここでCD-ROMが認識できたら一気に解決するのだろうな、と思いつつ、一旦やめる。他のpcを使って、CD-ROMの内容を xcopy *.* e: /e /s /v /h みたいなコマンドで他のHDDパーティションにフルコピーする。この場合はEドライブだった。で、このHDDは前述のFDから認識できるので、HDDを使ってインストールしようというのだ。本当はIBM純正のCD-ROMドライブがあればもっと簡単らしい。

マニュアルを見ながら手順通りにインストールを進める。今回はEドライブのHDDにWindows 95が入っているから、まずE:でドライブを移動して、setupとタイプ。実行。いきなりscandiskが始まる。しまった、このHDD、4GBのSCSIディスクで、パーティションを切ってあって、他パーティションにはいろいろデータが入りまくり。そんな所までscandiskしてもしょうがないのだ。とはいっても、scandiskを中断したら95のインストールも中断してしまうのだ。これを回避する方法はどこかで見たような気もするが、今回は諦めて待つことにした。

その後は、マニュアルの手順通り。IDを入れた後、ハードウェアの検査をする所まで進んだら、

ブラックアウト
して何もできなくなるので、電源を切る。そして、もう一度インストール手順を繰り返すと「修復インストールするけ?」と尋ねてくるので、「うんうん」(何だっけ表示文忘れたぞ)を選択する。実はこの時は外付けCRTを接続し直してインストールしたのだが、液晶だけでも出来るのかどうかは知らない。誰か試してみてください。しかしこれって本当に正しい手順なのか?

とりあえずインストール完了。640×480の16色画面で起動した。ナイス。しかしマウスが動かない。なんでか分からないので、ハードが壊れたかと思って、F1を押しながら電源on、モニター状態でまずinitializeを実行してからハードウェアテストをする。ok。よく分からないがもう一度起動。すると、今度は何とかポイントでカーソルが動いた。何なのだろうか。疲れたのでここで作業中断。この後、各種ドライバとソフトの再インストールという途方もない作業が待っているのだ。とにかくPCMCIAカードのドライバFDがどこにあるかというのが最大の問題になる予定だ。

§

So-net麻雀がバージョンアップしていた。Build 199。早速バージョンアップして観戦してみたが、南1局から観戦して3局あたりで一般保護例外でアウト。前回と同じアドレスで落ちている。しばらく直す気はないのだろうか、それともTP535Eには対応しないのか、それとも単にこのマシンだけが対応外なのか、よく分からない。bug reportは2回か3回送っているが、何の反応もない。はたしてプレイできる日は来るのか?


1998年9月17日

TP535のハードディスクを交換する。手順。

  1. バッテリーを外す。
  2. パームレスト部分のカバーを取り外す。本体裏にあるネジを2つ外さないと取れない。ネジを外してからパームレストをずらすと外れるとかマニュアルに書いてあるが、意味が解らない。思い切って破壊覚悟でえいやと力を入れるとうまく外れた。真似しないように。
  3. ハードディスクを止めてあるネジを外す。それってどれ? ハードディスクは本体の前面に何かそれっぽい切れ込みが入っている所。そのちょうど真ん中あたりにあるネジだ。
  4. ハードディスクを外す。ネジが外れていれば外れるのだが、これがまた固いというか、なかなか難しい。爪を使ってゆっくりと右、左と交互に力を入れてずらしてやる。怪力の人ならおもいっきり引っこ抜けばいいかも。ただし爪がはがれても知らない。
  5. ハードディスクがケースにネジで止められているので、このネジを外す。そして、元と同じ状態になるように、新しいハードディスクと交換する。
  6. ハードディスクを入れる。これが難関で、なかなか入らない。思い切ってギャンブルのつもりで力一杯押し込んでやると、運がよければ入るかも。運が悪いと本体かディスクが壊れてるので一杯飲みに行くとよいかも。なおどうなっても私は責任を取りかねますのでよろしく。後で他のページを見たら、ネジを止める時に少しゆるめにすればよいようだ。それと、左右に少しずらしたりしながら、うまく挿入できる位置を探してやる。
  7. とりあえずバッテリーを入れて電源を入れてみる。ハードディスクが回転すれば吉。すぐに電源を切る。
  8. パームレストをはめてネジ止め。
  9. バッテリーを入れる。
割とアバウトだが何とかなったようだ。

1998年9月16日

午前2時。ほりもとさんから送られてきた画像でホームページを更新する。ついでにpreviewとか更新しようとすると結構手間がかかったのだが、コメントを入れるのが楽になった。前回更新した時はWindowsで日本語を入力できない(不可能ではないが)という状況だったわけだ。進歩したものだ。新しいCGは、なるほど、そう来たか、という絵です。ここのページには反転して1/2倍したものを使っているので字が読みにくいけど、鏡に写せば読めることは確認済。

外は涼Cどころか猛烈な風に加えて何かえらい雨なんですけど台風直撃でっか。別に雨はいいけど、天気予報を見たら日中の最高気温35度って何? 勘弁してほしい。

あ、風がおさまってから気付いたんですが、洗濯物干すアイテムとか外に出したままだった。まだ指定の位置に存在しているかどうか怪しいかもしれない。


1998年9月15日

ドラゴンパレス無茶苦茶ハマる。この「ハマる」というのはハマり台という意味の方のハマりである。とにかく34回まで数えたがドラゴンリーチが外れまくり。コイン1000枚たまったら他の人がスーパージャックポットを出す。 ドラゴンチャンスになったら2回で終わる(本当に平均15回なのか?)。 これで他の人なら破産している所だが、それでも神経を集中してヒット率を上げて枚数増やしている。極め付きは、何と隣の人が

プレミアムリーチ
を出すのを見てしまった。全部逆回転というからそういうのを想像していたが、確かに全部逆回転していたわけだか、予想を越えて随分かっちょええ。ああいう回りかたするのか。 いやーどんなのと言われても説明しにくいというか、ま、皆さん自分の目で見てください(って無茶か?)。 しかも凄いことにこの人はドラゴンパレス初めてらしく(いきなり40万分の1を出すとはなんとも…)、全然分かっていなくてなんということかこの後にジャックポットが出せずに帰ってしまったのだ。もったいない(スーパージャックポットが出ると台の上にコインがざくざく溜まるのだが、その後に通常のジャックポットを出した時にそれが落ちて来る)。次にそこに座った人はジャックポットの後にしっかりドラゴンチャンスになっているという。 しかしこういう人の所に40万分の1が来るというのが皮肉だが、それにしてもこの人、強運なのか不運なのか…。

ただし、後に座った人もパンクである。やっぱり結構恐いゲーム。見ているとコインをどんどん入れている。確かにスロットも回りやすいが、無駄なコインの率が高すぎる。これではトータルで勝てない。3枚に1枚は入れないと難しい。

§

TP535Eが何か変。画面がちらちらする。故障か? 修理に出すとまた長期間戻って来ないわけで、もういや〜んな感じ。さて、TP535(無印)もあるので、そちらにデータを移動してから修理に出せばいいわけだが、調子に乗ってデータをたくさん集めたりした影響で、移動しきれない。多すぎる。こうなったらまた新しいpcでも買うか〜。と思って新宿に出かけたが、TP235とかVaio NOTEとか、20万円前半の価格のpcに目移りする。Vaioの方は、得意の中古購入という手もあって、それなら64MBモデルが20万円切った予算で買えるようだ。

しかし結局2.5インチの2GBのHDDを買って来た。つまりHDDが810MBしかないからデータが入りきらないのであって、2GBあれば入るはずだ。しかし認識しないとか言われると困るのだが、まさか…。ともあれ買ったのは、DTNA-22160というもので、34,800円+消費税-ポイント、であった。


1998年9月14日

ちなみに問題になっていましたサクラさんのセリフですが、こんなのだった。
わたしだサクラじゃ入りたくないが入るぞ実は先刻のくうぅすりぃぃーあ〜は〜ほ〜ぅわぁ〜〜ぐぅぅ〜〜ぅえぇ〜〜ぇ、ぉ〜
合ってますかね。

1998年9月13日

ビューティフルドリーマーを見直す。久しぶりのような気がする。サクラさんのセリフを確認するのが目的なのだが、しかし今見直しても濃い作品だ。至る所が伏線だらけ。

1998年9月12日

ドラゴンパレスでコイン2000枚出す。後ろで見ていた人がいたが、基本的にコインの入れ方が2通りあって、使い分けているのが分かっただろうか。 右手人差し指の微妙な使い分けなんだが。ネタばれは書かないと宣言したような気がするのだがあっさに裏切る超大ヒント。レールの右に沿わせるか左に沿わせるかを使い分けているのである。たかがメダルゲームにそこまでするかというと、する。

肉まん画面の方でプレイして、Jackpotの時の女の子がビキニのことが一度だけあって、その後の竜リーチでうまく揃ったのだが、ビキニの後は必ず揃うのだろうか? 単なる偶然だろうか。

隣の人、スーパージャックポット出してなおかつスッカラカンになっていた。恐ろしいゲームである。


1998年9月11日

大検索して「Cプログラミングの秘訣」の原稿を見つけ出す。HTML化するのにperlを使って処理しようと思ったのだが、細かい所を修正しながら作業して結局手作業で公開。 URLは http://www.st.rim.or.jp/~phinloda/cprog.html。この記事が出た時に、あろうことかCマガジンによくぞ「C言語の素質ない人は他のことをやれ」と書いたなという声があったのだが、読み直してみると結構無茶なことを書いている。
「よいプログラム」とは何か。ずばり一言で。「そんなものは言葉で表現できない」というのが私の意見です。
って今読んでも全く異議ないが、そんなこと書いたか?(^^;)

1998年9月10日

ご意見番の原稿を出す。今回は、前月に書く予定だった例のC言語会話講座の話題なのだが、やはり物凄くやんわり書いてしまう。

1998年9月8日

最近読んだ本。まず、読んだというか読み直した本。影武者徳川家康、隆慶一郎。ファンタジー派と自称しているのだが、実は時代小説は割と好きなのである。特に眠狂四郎が出てくる柴田錬三郎氏の一連の作品とか、五味康祐氏の柳生武芸帖とか。しかし、隆慶一郎の作品というのは、何か別格の面白さがある。何度も読み直すというのは珍しい。


1998年9月7日

記事も書かずば撃たれまい

fj.educationで、 「OSUGA さんのような方が、教育界に求められている現在だ。」 (Message-ID: <6sotmi$l4c@martini.tcp-net.ad.jp>) という文を含んだ投稿があって、これに対して 「文章が意味不明ですね。」 (Message-ID: <DOI.98Sep5031422@pc6071.abr.affrc.go.jp>) という投稿が付いたのだが、これに対して大須賀氏ご本人が 「こんな簡単な日本語も理解できぬような人物が「頭を使え」とは.」 (Message-ID: <35F1B4B0.5A8082A7@gld.mmtr.or.jp>) と投稿する、という流れがあった。で、大変恥ずかしい話なのだが、私にも 「OSUGA さんのような方が、教育界に求められている現在だ。」 という文が一体どういう意味なのかさっぱり分からないのである。日本語の力がなくなってしまったのか。最近のfjには付いていけない。確かこの大須賀氏は国語の先生だったと思うのだが、だとしたら常人を遥かに超越した国語能力があるはずで、私に分からないものが分かるのも当然かもしれないし、奇妙な話だが意味不明だという人が他にもいるということも僅かながらの救いであるが…。

§

ドラゴンパレスの件で、開発者も見たことないというのは、1/400,000の確率で発生するプレミアムリーチじゃなくて、1/1000の確率で発生する全回転リーチ外れなんですね。何かどっちも見たことないので分からないが。ちなみに、Dragon Chanceって最高何回程度持続するのだ。私の場合、3回で終わったことがあるが、平均15回って本当か? 最高記録でも14回しか経験したことがない。

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fj.soc.war-and-peace などで、北朝鮮からのミサイルをどうやって回避するかという話題が少し盛り上がっている。そういう議論も結構だが、例えばアメリカから核攻撃された時にどうやって回避するか自衛隊は考えているのだろうか? ミサイルを持っているのは北朝鮮だけではないはずだが。


1998年9月6日

またやられました。何だっけ、究極伝説超絶核爆役満

東風荘
とかいうやつ。とにかく早い手だろうがドラがあろうが関係ない。無反応になってネットワークエラー(もちろんppp接続のコネクションは成立しているから、他のアプリケーションは問題なく使えている)というメッセージが出て、接続し直したら他の人が上がっているというものである。ま、つくづくやる気なくした。東風荘別館はどうなのだろうか、同じソフトだったら振る舞いも同じか。とにかく、これって一言でいって
麻雀ではない
世界で、興ざめというか、今回は完全にやる気なくした。So-net麻雀の方が、Windows95ごと落ちてくれるのでまだ納得できる…わけないだろ。しかしなんでネットワーク麻雀ってこういうのばかりなんだ。あ、「そんなことする暇あったら○○しろ」という天の声なのかも。

しかし不思議なのは、東風荘ってあれで参加者が納得しているということである。無料だからという考え方はあるかもしれませんが(でもバナー広告を強制的に表示しているわけで)、無料だろうが有料だろうが、変なプログラムは変だし、使いにくいソフトは使いにくい、そのあたりは明確にアピールすべきだ。もちろん、作者がそれを修正する義務も義理もない。そういう意味でなくて、そのソフトがユーザにどのように受け止められているのか、ということを知らせるべきだと言っているのである。そりゃ言い方ってものがあるから「こんなソフト使えるかー」と叫んでちゃぶ台をひっくり返したりするというのもアレだが、私も一プログラマーとして言わせていただきたいのは、「え、ソフトって落ちるのが当たり前でしょ?」なんてユーザに思われるのは無茶苦茶情けないわけである。ましてや保護機能があるはずのOSがアプリごと全滅するなんていうのは世間に顔向けできないというのが通常の神経なのだ。それをどこのメーカーか知らないが、落ちるのが当たり前とか、調子が悪くなったらリセットしろとか、定期的にファイルをセーブしろとか、そういう話にするから世の中がおかしくなってしまうのだ。


1998年9月5日

So-net麻雀がどうしてもプレイ中に保護例外とか出してWin95ごと自爆してしまうので、TP535EのBIOSとVideoドライバをアップデートしてみた。アップデート後、DOS窓から通信ソフトが動かなくなったりしていろいろ訳がわからなくなったが、とりあえずMWAVEモデム殺したりしてアップデート前のソフトが同様に動く状態に設定できた。しかもSo-net麻雀も同様に落ちてWin95ごと自爆する…って何やってんだか。しかし他の人達は何のトラブルもなくサクサク打てているようなのが納得できない。こちらはbuild 195。

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COMICS DICTIONARYのページ、太刀掛秀子の所で、 「青いオカリナ」の前後の本の価格とか書いてないのだが、たまたま手元にあって、ちなみにこの本、1982-04-20に発行で360円。本編じゃなくて最後に載っている「小猫ちゃん迷い子」で、野乃ちゃんがばくさんに間違えて抱き着く所でセリフが漢字になっているのだが、りぼん掲載時にはここは平仮名になっていて、その方が感じが出ていてよかった。とにかく太刀掛さんというのは単行本になると細かい所とか背景が随分書き足されていたりするから、なかなか要注意である。

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かなり出入りの激しい、しかし会心の試合。いきなり下家の親っパネから始まったのである。

   東1局 0本場  下家 19000 上家 -6000 kumaU -6000 対面 -6000 
        ハネ満貫ツモ 白 リーチ 門前清模和 ドラ3 
   東1局 1本場  kumaU 4900 対面 -2900 
        40符 二翻ロン リーチ ドラ1 
   東2局 0本場  上家 1500 対面 1500 kumaU -1500 下家 -1500 
        流局
   東2局 1本場  対面 9100 上家 -6100 
        30符 三翻ロン 平和 リーチ 一発 
   東2局 2本場  下家 4300 上家 -900 kumaU -900 対面 -1500 
        20符 三翻ツモ 断ヤオ 平和 門前清模和 
   東3局 0本場  上家 13000 対面 -12000 
        満貫ロン 中 ドラ4 
   東3局 1本場  kumaU 1400 上家 -600 下家 -400 対面 -400 
        30符 一翻ツモ 三色同順 
   東4局 0本場  kumaU 10600 下家 -9600 
        25符 四翻ロン 七対子 断ヤオ リーチ 
   東4局 1本場  kumaU 6200 上家 -1400 下家 -1400 対面 -1400 
        20符 三翻ツモ 平和 リーチ 門前清模和 
   ---- 試合結果 ----
   1位 kumaU         +28
   2位 下家          +10
   3位 上家          -8
   4位 対面          -30
東3局1本場、上家はリーチをかけてきた。これを食って一発消し。かなり危ない牌を切ったが通り、結果は三色のみという最低の手なのだが、むしろ相手の大きな手を防いだ意味が大きい。この次の親番のリータンチートイがなかなかシビアな手で、ありきたりのひっかけでは下家が振ってこないのである。 6筒 の待ちは読み切れなかったというより、こちらも殆ど偶然の待ちになるのを待ってリーチしたわけで、そこが幸いしたか。下家が初めて直撃払いで、ここで一気に差が縮まって、最後はリーピンツモ。ぎりぎりの逆転である。

この次の試合。とりあえずここでテンパイ。3巡目である。

5万 5万 4索 5索 6索 9索 9索 9索 東 東   白 白 白

東 はドラ。次のツモは 1索 だった。 東 が出た所で満貫しかない。 5万 だともっと悲惨である。対面の親がコンピュータ代打になっているので、ここは高く狙いたい。手も早い。そこで、 5万 の対子落としをしたら、次のツモは 2索 だったので、今度はこのテンパイ。

1索 2索 4索 5索 6索 9索 9索 9索 東 東   白 白 白

やっぱり満貫しかないのである。 1索 は一つ切れている。という所で、 8索 をツモってきた。もしハネ満を狙うなら、 東 を引いてこないといけないから、ペン 3索 の待ちに固執するわけにいかない。そこで 1索 を切った。次のツモが 1索 。どうも感覚がずれている。ツモ切り。とかやって足踏みからコケかけている所で下家がリーチ。こりゃ負けたかと思ったのだが、ここでやっと対面が 東 を切ってきた。

4索 5索 6索 8索 9索 9索 9索   東 東 東   白 白 白

これでハネ満。リーチの下家から出てきた。無茶苦茶厳しい局だが、この後も親リーチに

6筒 8筒 1索 1索 7索 8索 9索   8万 7万 9万   中 中 中

ドラ 7索 。この無茶苦茶情けないドラ1の手をツモって逃げ切るなど、小回りの効く展開で何とか無難に逃げ切った。

§

ドラゴンパレスのページ発見。ねっねっ、その40万分の1って何? 開発者も見たことないって、本当にあるのか、バグで実はでません、なんて言われたら怒るぞ(^^;)。


1998年9月4日

らんだむCGりんくのリンクをさらに追加。FPROGのホームページも更新する。

1998年9月3日

さむい。

§

このページってどの程度容量使っているのか分からなかったので、どうすれば分かるのかというのをFPROGで質問したら、メンバーズホームページの運営メニューから見れば分かると教えてもらった。そういうのもあったか、すっかり忘れていました。というわけで調べてみたら、こんな程度だった。

                ●ディスク使用容量表示 :1096727Byte 
Bytesじゃないのかって? そんなことはニフティに言ってくれ。ま、意味が分かればいいんじゃないか。最近、人間が○くなったかもしれない。そういえば、マジでわからないのは、back numberである。NIFTY SERVEのホームページにもback numberという表現が出てくるが、残念ながらリンクを張ってはいけないはずなので紹介できない。ともかく、出てくる。

分からないというのは、これが「back numbers」ではないかということだ。AltaVistaで「back number」を検索すると1万件以上ヒットするのだが、ざっと見た感じでは、最初の数十ヒットは全部日本のページである。つまり、jpドメインか、あるいは内容が日本語のページか、いずれかである。では「back numbers」だとどうか。やはりjpドメインが圧倒的に多い。もしかして「back number」というのは和製英語なのか、と思うと、例えば、 HAROLD HOLT HEADLINES / BACK NUMBERS のようなページもある。back numbersならよさそうな気がする。ともかく、このページはback numberじゃなくて「アレ」と表現しているから問題ないわけだが。


1998年9月2日

ニフティサーブホームページグランプリ、応募ページがアクセスできたのだが、
*ノミネート作品にエントリーされた場合、本名が公開されます。
って何だ、冗談じゃない。仮にグランプリを獲得したとしても、 ネットで知った相手の家に放火するような人がいる時代にそんなリスクを負うほどのものは貰えないし、やめた。

ニフティの役員さんとか部長クラスの人とか、あのあたりの人は、家にいたずら電話がかかってきたり訳の分からない郵便物が届いたり数千万回に及ぶ集団催眠による冤罪作り(?)に合ったことはないのか? 危機感がまるで欠落している。Webでページを出すという行為は、少なくとも大衆に晒されるという意味では、 作家とかアイドルとか、あのような雲の上の人達と同レベルに立つということだ。 インターネット事業を積極的に展開とかいうアピールをしたらしいが、 言っていることとやっていることが矛盾している。 まあ、何人か死んだら多分改善する気にはなると思うが…、私ゃその中の一人になるのは嫌だから、他の人が被害者になるのを待った方がいい。 だいいち、フォーラムという限られた世界でさえその類の問題が実例として起こっていることをニフティは知っているはずなんだが。 ニフティの審査という希薄な壁すらないWWWで実名を出すということがどういうことか、分かっているのだろうか?

もっとも、Web pageに住所や連絡先、子供の写真まで掲載する人がいる時代だから(誘拐して欲しいのだと思われる)、世の中変わったのかもしれない。

§

らんだむCGりんく にリンクを追加しているが、 Limit Cycle というページ発見。絵がどこにあるかというと、日記の所なんですが、 だるそうな絵が見るからに「だる〜」でよかったというか、こっちまでだるくなった。 絵が描けるというのは得だ。8/17〜19あたりの日記。

§

予定外の出費。10万円振り込む。


1998年9月1日

FNETでNIFTY SERVEとインターネットの歴史についての質問があったので、回答を書こうかと思って、あちこちWWWを見て歩いたあたりで、気力が0になって挫折する。すっきりまとまっているのが Brief History of the Internet and the World Wide Web で、ここにあるリンクが便利。 少し細かいことまで知りたいのなら、 Hobbes' Internet Timeline がおすすめかも。internetという単語が使われるようになったのは1982年らしい。 Javaなんで重いのだが、 Life on the Internet: Net Timelineも結構いい出来だと思う。 History of the Internet and WWW: Road 1 -- USA to Europe には1969年のThe first LOGs: UCLA -- Stanfordという逸話が紹介されている。

ニフティサーブホームページグランプリというのが開催されるらしい。こんなページじゃどうせ選外でしょうが、もしかして記念品か何かもらえるかもしれないと思って参加申し込みだけでもしておこうと思ったのだが、応募フォーマットのページに行ったら、

応募フォーマットにアクセスくださりありがとうございます。
応募受付は9月1日(火)午後スタート予定です。
よろしくお願い申しあげます。
はあ、さいですか。私の時計は一日進んでいるようだ。


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