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2008年9月のアレ

まあ日記というのか、そういうものだ。

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2008年9月26日

創価学会の良い噂を聞かないのはなぜか、という質問を見かけたのだが、 そう言われてみるとそうである。 私も良い噂というのは聞いた記憶がない。

「水と麦茶は何が違うか」という質問が。 全然違います、ていうか、麦茶は水から作る訳だが、 この感覚がいまいち分からない。

§

掲示板に個人情報晒されたらどうすればいいか。 ただし、掲示板の運営母体が不明だとする、 という質問。 これ、どうにもならないと思うのだが、 仮に運営母体が分かっていたとしても、 例えばグルジアの掲示板とかだったら一体どういう対応を要求すればいいのだろうか?

ていうか、 もっと疑問なのは、個人情報を晒すというのは罪になるのか、という話。 個人情報保護法というのは、 業務で大量の個人情報を扱う人に対するものであって、 一個人が個人情報を晒したところで適用しようがない。

有り得るとしたら、 プライバシーの侵害あたりだが…。 ってことは民事訴訟起こすしかない?

2008年9月25日

地下鉄でまだ「優先席付近では携帯電話の電源を…」というアナウンスをしている。 普通に使っていればペースメーカーに影響するようなことはないから、 完璧にデマを広めているのだが、 やめる気がないというのは、どうすればいいのだろうか?

まあでも私には関係ないのだが、 そういうアナウンスをするから気分が悪くなる人がいるというのは、 どうにかした方がいい。 被害を防いでいるつもりで加害者になって被害者を増やしているのに、 いい加減気付いてもいい頃だと思うのだが。

ていうか、大江戸線やかましい。 疲れているのに寝てられない。 「車内での大声は周りの人のご迷惑となりますので」だとさ。 オマエのことだ。 わざとやってるだろ?

こういう苦情は一体どこに言えばいいんだろうか、 ねえ、石原さん?

2008年9月22日

百害あって一利なし、というような法律はあるのか、という話。

原理的に考えると、 制度・法律を作るということは、少なくともその時点で誰かにとって一利ある訳だから、 作ったときに「百害あって一利なし」である法律は有り得ないだろう。

しかし、 その後長い年月が経ち、 一利あった人たちが全ていなくなって、 後に百害を受ける人だけが残った、というような法律があるかもしれない。 こういう場合も、 一般的には利害関係というのは対称性を持っている。 つまり、 利ある人がいなくなると、 害が生じる人もいなくなる場合が多い。 つまり、一害もなく一利なし、という状態になるのだが、

もっとも、何かそういう法律があったとしても、 「法律の歴史を知るには役に立つから一利ある」とか 「法律が多くて困っているのに意味のない法律が残っているのは害だ」とか言う人がいるような気がする。

2008年9月20日

無門関。 これ実は図書館で借りた本なのだが、 ブログに書いたように汚してしまったのだ。 図書館に持っていったら、 弁償しろという話になった。

どういうシステムかというと、 同じ本を買ってきて交換すればよいそうだ。 もちろん新品なら問題ないが、 中古でも、汚れていなければいいそうである。 どんな汚れかというと、 今は本を図書館に人質にされているので撮影できないのだが、 交換次第、画像を紹介する。 これは電車の中で読んでいたら、 蚊が飛んできて、本の端にピタっと止まったのである。 それで思わずパンと叩いてしまったのだ。 逢仏殺仏、逢祖殺祖である。 こういう時は手が勝手に動いてしまうものだ。

こんな程度の汚れで弁償か、 という人もいるかもしれない。 図書館の本を破く人もいるそうである。 そういえば、しにがみのバラッド、7巻か8巻か忘れたが、 カラーページが切り取られていた。 世の中、そういう人もいれば、 この程度の汚れで恐縮して新品と交換する人もいるのだ。 そうでなければ面白くないだろ。

まあこの本、欲しかったのでそういう意味では別に悪くない。 仏教ではこれを「縁」という。 ていうか図書館で借りて Amazon のアフィリエイト付きの書評を書くので罰があたったのだ、 という説もある。 だとすれば因果応報である。

昔借りた本に、コーヒーか何かをこぼしたようなシミが付いているのがあった。 そういう本を見ると、前に借りた人はどんな所で読んだのだろうか、 とかいろいろ想像して面白い。 折り筋が入っていたり、線が入っていたりすることもある。 そういうのは基本的によくないと思うのだが、 人と人の繋がりというのはそういう所から始まる。

この「無門関」という本、 そういう目で見てみると、シンジラレナイほどどこも汚れていなかったのである。 もしかしたら私が最初に借りた人なのかもしれない。 となると、持っていたら何かいいことがありそうな気もしてくる。 もっとも、本の妖精みたいな話はあると思うが、 無門関の妖精というのはちょっとイメージできない。

§

知恵袋にC言語の質問。 コンパイルできないのはなぜか。 見ても全然分からなかった。 コピペしてコンパイルしてみると確かに通らない。 ていうか、「}」が全角になっている。

_| ̄|○

Ruby会議だったと思うが、 あるセッションで、初心者がエラーにしてしまう例が紹介されていた。 これ、どこがおかしいか分かりますか。 誰も分からない。 講演者曰く、「実はここの空白が全角なんです」。 分かるかそんなもん。

でもそれが頭に入っていたから、 割とすぐ気付いた。 何事も経験なのである。

§

知恵袋でJava の質問。 これも初心者。 何か見た感じでは、 回答している人がかなりデキる。 しかも答え方がうまい。 知恵袋って個人情報を書くの厳禁だから誰なのか全然分からないのだが、 もしかしたら凄い人なのかもしれない。

この初心者さんの書いたコードの中にこんな感じのメソッドが出てくる。 コードは全然違うのだがエッセンスだけ抜き出した。

public void set(Object arg1, Object arg2) {
    arg1.setHoge(arg2.getHoge());
}

つまり、arg1 の状態を arg2 を使ってセットする、というようなメソッドなのだが、 Java では set というメソッドは普通こういう使い方をしない。 言語仕様で禁止されている訳ではないが、非常によくない。 set というのは、そのオブジェクトの属性をセットするという意味のみで使うべきである。 他のオブジェクトの値をセットするのであれば、 assign のような別の名前にした方がいい。

もちろん、Java を始めたばかりでそんなことは分からないだろう。 だから、set という名前を使ってしまうのは、とりあえずセンスとしては悪くないと思う。 もちろん、紹介したコードはこのクラスに配置するべきかという、もっと大きな問題が控えているのだが。

2008年9月19日

知恵袋に「夏は終わったよね?」みたいな質問が出ていたから、 うっかり「どうざんしょ」と書いてしまった。 やっちまった。

2008年9月18日

何か最近、気分がどんよりしていたのだが、 何となくやる気が唐突に出てきたので、 よし、やるぞー、 と意気込んだのだが、 いきなりコーヒーを服の上にこぼして沈没。

昼飯は珍しくセブンイレブンのお弁当。

2008年9月17日

知恵袋に、 Ameba の足跡はログインしていないと付きませんか、 というような感じの質問。 そもそも Ameba の足跡って何だろう?

ペタのことだろうか? ペタはあまり気にしていなかったのだが、 そう言われてみれば、 メールに「あなたの昨日のペタは」というのが来ている。 いずれにしても、 ログインしなければ足跡を残すことは原理的に不可能なのだが、 そのあたりのリテラシーがない人が多いことには驚く。

知恵袋の質問に、 知恵袋の質問や回答をセレクトしてブログに書いたら規約違反になるか、 というようなのがあった。 ってそっちに回答書けばよさそうなものだが、 こういう所のネタにしてしまう。

もちろん無断転載はアウトに決まっているのだが、 これは規約でどうかというと、 「Yahoo! JAPAN - サービス利用規約」の15に

ユーザーは、Yahoo! JAPAN、提携先、広告主に事前の文書による承諾を受けた場合を除いて、サービスもしくはソフトウェアまたはそれらに包含される内容(一部あるいは全部を問わず)を複製、公開、送信、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案、使用許諾、転載、再利用しないことに同意するものとします。

これに同意した以上は、 「サービスもしくはソフトウェアまたはそれらに包含される内容」 をアレしたら規約違反になる。 では、「サービスもしくはソフトウェアまたはそれらに包含される内容」とは一体何なのだろうか?

例えば、 利用者が自身で書いた質問や回答はそれに含まれるのか? あくまで私見だが、 それは多分コンテンツの一部であり、 コンテンツというのは「それらに包含される内容」に該当するから、 従って「含まれる」のだと思う。 ただ、規約上は、会員が自ら書いた内容は書いた人に著作権が留保されているので、 自分で書いた内容であれば、勝手に転載だろうと再利用しようと、 規約違反にはならないはずである。 もしそれが規約違反になるのなら、 私が以前行っていたように、別のブログにまず書いてから Yahoo! JAPAN に転載する、 という手順を踏めば完璧に規約に反しないわけで、 つまりそういうのはナンセンスである。

もちろん、他人の質問を転載すると規約に違反するだろうから、 このサイトには質問を転載しないで、 質問の趣旨だけをアレンジして紹介しているのだ。 著作権は表現に発生するのであって、その意味には発生しないから、 どこにどういう質問が書かれていた、というのを自分の言葉で紹介するのは著作権の侵害にならないのである。

もちろん、著作権法における「引用」を満たすような使い方をした場合も、 著作権の侵害にはならない。 その場合、規約の違反になるかどうかは微妙だが、少なくとも禁止行為の中に「引用」は含まれていないし、 実務上も全く問題なかろう。

たぶんこの質問をした人は、 2ちゃんねるに対する「痛いニュース」のようなブログをイメージしたのだと思うが、 そういうのは非常に高い確率でアウトなのだが、 では、そういうのを転載ではなく全てリンクだけで作ったらどうだろうか? Yahoo!知恵袋ヘルプには、 情報ページに対しては「「フレームを使ったリンク」ならびに「画像のみを対象としたリンク」を除き問題ありません」 ということだし、 個別の質問や回答へのリンクも可能と書いてあるので、 リンクすること自体は問題ないことが分かる。 ただし、個別の質問や回答へのリンクは切れることがある。 まあこれは一般的な注意として常識だ。

また、ビジネス的にも、Yahoo! がそれによって利益を増すことがあるとしても、逆に損害が出るということは考えられないから、むしろぜひ勝手にやってくれ、 みたいな感じかもしれない。 だったら許可を得てやればいいではないか、 という話になるのだが、 多分こういうのは許可を求めたら、Yahoo!の利益になるようなプランでも却下されるだろう。 世間とはそういうものなのだ。

2008年9月14日

TV番組「ジキルとハイド」で、 手の動きを一瞬で分析して絶対に勝つじゃんけんマシーン、 が紹介されていた。 うおおお、スゲー、みたいな。

これ2台で戦わせるとどうなるんだろ?

§

電車で対面に座っていた中学生位の少女が、 降りる時に座席にシャープペンシル(のようなもの)を忘れていったので、 つんつんして教えてあげた。

別につんつんしたかった訳ではない。

2008年9月9日

Yahoo!知恵袋、だいたい分かってきた。 要するに速い者勝ちの世界で、 回答が最適かどうかなんてのはどうでもいい、 リアルタイムQ&Aなのだ。 従って、書く方は有意義なことを書いたりしようというよりも、 反射的にリアクションを書く、という傾向がある。

Web2.0といえばそうなんだろうけど、 集合知というよりは集合恥、 衆愚的な世界になっている。 これは単に回答期間を1日以上にするとか、 そういう安易な仕様変更でも結構変化するような気がするのだが。

§

三笠フーズの事故米事件。 基準値を超える農薬等が含まれる米を食用として販売、 これを使った焼酎等が回収される騒ぎになっている、 というもの。

というのを見て、 多分中国人だと思うのだが、 日本人は中国のギョーザで大騒ぎしたが、 日本も同じじゃないか、というようなことを書いていた。

どこに目付いてるあるか。 全然違う。 毒ギョーザで何人病院に行ったか覚えてないが、 三笠フーズしかり、 その前の吉兆だとか赤福、 しゃぶしゃぶは何処だっけ、 牛肉の産地偽装、賞味期限切れ。 確かに問題だらけだが、 それで病院に行ったというような人が一人でもいたか?

つまり、中国の場合、 食品に毒を入れる時は致死量までてんこもりにして入れるか、 あるいは、 健康被害というのは何も想定せず、 好きなだけ汚染したものを流通させる訳だが、 日本の場合は、 ちょっと食べても気付かないし、 健康被害も発生しない、 という実に微妙な分量を計算し尽くした上での犯罪なのだ。 格が違うのだ。

10日のニュースでは、 中国で同一の粉ミルクを飲んでいた赤ちゃん14人が腎臓結石になった、 と報じている。 まだまだ青いな、と思っているのかもしれない、某フーズの社長とか。

2008年9月9日

Yahoo!知恵袋で、 中学生が文化祭に展示するという文章が掲示されていたので、 感想を書いた。 中学生あたりでマスコミの情報操作に対抗しろというのは酷かもしれないが、 1点だけ石を投げておいた。 エコキャップ活動の話である。

この活動に関しては個人的にはかなり肯定的だし、 実際キャップを集めていたりする。 キャップを捨てるよりはマシというのは言うまでもない。 キャップとペットボトルを分別する、というのが意外と意味のあることではないかと思っている。

問題視したのは、キャップ800個を焼却すると6300gのCO2が発生するというところだ。 そのことは検証されていないが、 とりあえず事実だとしておこう。 問題は、このキャップ800個をリサイクルした場合に、どの程度CO2が発生するかということだ。 これが調べてみたがよく分からない。

一般によく言われているのは、 ペットボトル本体だと思うが、 リサイクルする場合に、焼却するときの5倍のCO2が発生する、という話である。 つまり、リサイクルした方がCO2が増えるのだ。 リサイクルにはかなりのエネルギーが必要となるから、 理屈には合っているのだが、 最近の焼却施設は発電装置も兼ねているとか、 視点はいろいろある。

もう一つ、これは指摘しなかったが、 ペットボトルのキャップ800個を集めたら20円、 これがポリオワクチン一人分に相当するという話だ。 ワクチンがあれば助かる子供が1日あたり6,000人、という数字も出ている。 エコキャップ運動の公式ページによれば、 8か月で890,602円、ポリオワクチン44,530人分が集まったという。 私見としては、意外と大勢助かったのかもしれない、と感じた。

なお、1日6,000人で計算すると、8か月で約150万人だから、 約5万人助かったので、その間に145万人死んだという計算になるのだが、 エコキャップ以外にもワクチンの運動はあるだろうから、 実際にどの程度足りないのかが分からない。

もう一つ、これも指摘しなかった。 ここまで突っ込んだら流石に中学生の手には負えないと思ったのだが、 見くびりすぎているだろうか。 仮にその44,530人がワクチンを投与して助かったとしよう。 この中学生の書いた文章には、こう書かれていた。

世界の発展途上国には、まだ栄養失調や下痢、又は予防できる感染症で命を落としたり、後遺症に苦しんだりしている子がおり、ワクチンさえあれば命が助かる子どもたちは、世界で一日に約6000人にも達しているそうだ。

この数字の根拠は書かれていないが、 大雑把にいって、飢餓で死んでいる子供たちが1日1万人というオーダーのはずだから、 おかしな数字ではないと思う。 さて、8か月の運動で、 この6,000人のうち44,530人はワクチンを投与したために、 ポリオで命を落とさずに済んだ訳だ。 この子供たちは死なずに済んだから、 今日も、 栄養失調や下痢、又は予防できる感染症で命を落としたりする地域 で暮らすことができるのである。

もちろん、 ボランティアとか人助けは、 自分のためにやればよいのだ。 つまり、人助けをしたという快感を目的としてやって、全然構わない。 宗教的にはそれではいけないかもしれないが、 現実的に、どういうモチベーションであれ、 それが誰かの為になるのであれば、その現実を優先すべぎである。

本気で人助けする気があれば、 中学生ともなれば、小遣いはそれなりにもらっているだろう。 ペットボトル800×5=4000個集めるのと、 これに相当する金額は100円だから、 例えば昼食のパンを1回我慢して100円寄付するのと、 どちらが楽か、考えるまでもない。 しかし、ペットボトルのキャップを集めるというのは、 実際にやってみると分かるが、意外と面白いのである。 ゲームにハマるような感覚がある。 パンを我慢して100円寄付するという行為には、そういう快感はない。

2008年9月8日

マクロスFの録画したものをダビングしていて、 DVD-R に焼くときにエラー。 もう一度やってもエラー。 いつものことだが困ったものだと思って、 もう一度。 とりあえず電源を入れなおしてやってみた。 電源を入れなおすと成功することがある、というのは経験則。

ダビング対象を選ぶときに、 録画した番組を名前順で表示しておく。 すると、「マクロスF」で始まるものが順番に出てくるので、 選択するときに楽だ。 他には日付順と、ジャンル順とか、数種類のソート方法が指定できる。

ということで、名前順でダビングしようとしていたのだが、 うっかりデフォルトのままでダビングの操作を始めてしまった。 一度この操作を始めてしまうと、番組の表示順はソートし直せない。 UI的には最悪だが仕方ない。 デフォルトは日付順だから、古いものから順に一つすつ見ていって、 マクロスFだけを選択するのだが、 この時に、1つさっき選択していない録画データがあることに気付いた。 これは番組名が「ス・マクロスF」となっていたのである。

「ス」というのはステレオ放送のことで、 番組名にこういうマークが付くのだ。 実は他のものは「ス字」か「ス多」か忘れたが、 そういうマークが付いていたので、これだけ別のところに表示されていたのに気付かなかったのだ。

UI的には、 これば「ス」「多」のようなマークはソート対象外とするか、 ソートするにしても優先順位を下げて特別扱いにするとか、 あるいは「マクロスF・ス」のように後ろに表示するか、 そのようにするのが望ましい。

駅前で某党の議員が演説していた。 以前、有田氏の演説を聞いてちょっと感動したという話を書いたのだが、 今回の演説を聞いてその凄さが分かった。

その某党の議員なのだが、 まずヤカマシイのである。 五月蝿い。 新宿や銀座で演説するのなら大声を出すのも分かる。 通勤時の静かな駅前で、 大声で騒ぐ必要はない。 警察も警察だ、騒音防止条例とか何かで逮捕してもいいと思うのだが。

そして、喋り方が物凄く遅い。 しかも間をおいて喋る。 通勤時だから、多くの人が足早に歩いている。 歩いている間に聞ける内容は限られている。 その短い時間帯で、注意を引くような内容を入れないといけない。 それなのに、例えば、歩いている間に、 「えー、先の衆議院に、おきましてー、自民党はー、」 これだけしか聞けない。だから誰も立ち止まって聞こうという人はいない。 いないと言ったら私はどうなのか、ということになるので困るのだが、 とにかく一人もいなかった。

要するに、この議員は、聞く人のことを全く考えていないのだ。 自分が選挙で当選することが目標で、その他のことはどうでもいい、 といった印象を強く感じた。 だから自分が大声で騒げばいいと思っているのではないか。 そのような人が当選させたらどうなるか、想像するまでもない。

そう考えてみると、有田氏の演説は秀逸である。 なかなかそういう演説をたまたま眼にして、 ちょっと聞いてみよう、と感じさせることは難しいと思う。

2008年9月7日

晴れていたかと思ったら急激な豪雨と雷。

2008年9月5日

Yahoo知恵袋!、に店員の態度が悪かったし店長も悪かった、どうだ、 みたいな質問が出ていたので、こういうことを書いた。

あなたの行動はもっともだと思います。飲食店は基本的に注文されたものをできるだけ同時に出すものだし、お客様相手の態度もなっていません。

ところがですね、世の中不思議なもので、店員の態度のようなものは、客が正しいかどうかなんてあまり関係なくて、もっと別の要素で決まってしまうことが多いのです。客の方が明らかに正しい場合でも態度が横柄だと対抗してまともに応対しない店員がいるかと思えば、うっかりテーブルをひっくり返してしまってお皿を割りまくったりした時でも、極力低姿勢で謝って弁償しますからいくらお払いしたらいいですかと言ってみたら、いやわざとじゃないのですからそんなに気にしないでくださいと、かえって同情されたりして、頭下げただけで帰してもらえたりすることもあるのです。すごくドジなんだけど見ていると助けてあげたくなる人とか、身近にいませんか?

つまり、人間の反応というのは、正しいか間違っているかじゃなくて、好感度とか、魅力だとか、あるいは横柄さとか、傲慢だとか、そういったところで簡単に決まってしまうことが結構あるのです。

特に、不快感というのは伝染しがちで、自分が不快に思っていると無意識のうちに態度に出てしまって、周囲の人まで不快になることがあるので、そのあたりを気を付けておくと人生うまく立ち回れると思います。

お皿を割りまくったとうのは実話というか、体験談である。 あれは弁償ということになっていたら、何万円で済んだかどうかも怪しかったが、 許してくれたのでこちらは助かった。 お店の人は大変だったと思う。 ごめんなさい。 流石にその店には二度と行ってないというか、行く勇気がない。 そういうのを「敷居が高い」という。

さて、これを書いてから、 週刊コミック、モーニングを買った。 するとびっくりしたのは、 まずアレなのだが、 東大生が転職で失敗する話。 転職コンサルの人は、人間を動かすのは理屈ではなく感情だ、 という簡単なことをいう。 こういうのはコンサルの本にもよく出てくるから目新しいことではないのだが、

もう一つはカバチタレ。 最近のドロドロ度は一線を越えているというか、 何かリアルすぎて怖いのだが、参考資料というか、 実話なのだろうか。 まあそれはおいといて、 今週号に出てくるシーンで、 店員の態度がなってないという話。 客がメシ食っているときに店内を掃除するアルバイト、 店長に文句を言うが、誠意のこもってない謝罪。 で、最近の店はこんなものか、といってブツブツ言ってるのだが、

この2つ、知恵袋に書いてから読んだのだ。 単なる偶然ではなくて、 実は普段からそういう話はたくさんあって、 たまたま知恵袋に書いた後だから、 そういうのに目が行っただけ、ということだろうか?

知恵袋の件は、 質問者の言っていることは正しいし、 これがホテルの一流レストランだったら、 どんなに客が傲慢で横柄な態度をしても、 常に冷静に丁寧で親切な応対をするのかもしれないが、 それが一流といわれる所以であって、 チェーン店のアルバイトにそういうのを期待しても外れる。 特に最近はよく外れる。

毎朝行くコンビニ、 通路が狭いのに、品物の補充とか、 やっていることがある。 朝9時~10時頃のことだ。 この時間、通勤前の人達がちょっと立ち寄ったりするので、 かなり混雑している。 レジ前に10人並んでいるとか、そういうことも多い。 その状況で、通路に補充用のケースを置いて、品物を足しているのは、 客を客と思っていない、といわれても仕方ないような行動なのだが、 店の人はそういうことは全く意識していないのだと思う。

このコンビニ、お客様カードみたいなのがあるから、 連絡してもいいのだが、そこまでする気分にもあまりならない。 まあ個人的にはどうでもいいというか、 イヤなら他のコンビニ行けばいいし。 東京の都心、 犬も歩けばコンビニに当たるという。 1分も歩かない距離で別のコンビニに行けるのだ。 その店は単に通り道にあるから行くだけで、 別に他の店に行ってもいいのだ。

余談だが、実はこの「通り道」というのがまさに通り道なのだ。 つまり、裏口から入ってモノを勝って表口から出て行くのである。 この便利さがあるから、多少の無礼は気にならないのかもしれない。

2008年9月4日

終電間際で電車が止まった。 来ないのだが、1本乗り遅れることは確実だ。 もちろん、こういう事態は想定してあるから、 1本遅れても大丈夫なのだが。

2008年9月1日

年金問題の驚愕系解決方法として、 2100年に人口1000万人、 というのを書いたのだが、 もう一つ、人生60年計画、というのを思いついているので、 ここに書いておく。

織田信長も「人生50年」といってるし、 50年でもいいのだが、10年おまけだ。 今、平均寿命は約90歳。 これを60歳程度に下げる。 これで、まず年金を払わずに済む。 老後の医療費も激減する。

もちろん生存権というのがあるから、 60になったら殺すというのは無理なのだが、 例えば寝たきりよりは死にたい、 というような人は実際に大勢いると思う。 いるけど自殺することはなかなかできない。

もっと言えば、 もうやることはやった、悔いはない、あとは死ぬだけだ、 というような人が自主的に人生を閉じるというのを、 誰が止める権利があるのか、ということだ。 もちろん、100歳になって、体力も激減して、 満足に動けなくても、ボケても、それでも生きたい、というのもまた人生だ。 でも、行動が不自由になる前に、 ボケる前に死にたい、というのもあっていいと思うのだ。

不老不死というのは人類の永遠のテーマかもしれない。 「不老不死」であることは重要である。 「老化不死」を望んでいる訳ではないのだ。

§

電車の中で斜め前に立っていた人がお茶をこぼしてしまった。 座っていた人にかかったのだが、 もちろん電車の中でペットボトルのお茶を開ける方が悪い。 しかし、こういう光景はあまり見た記憶がない。

§

MovableType に来ていたスパム系コメントを大量に削除した。

§

夏休み終わったでしょ。 夏休みの宿題は、7月中に片付けるか、9月になってからやるか、 どちらかだと思うのだが、 Yahoo!知恵袋にあったのが、 俳句を作らないといけないけどあと10句どうしても思いつかない、 お知恵拝借、ということで、 1句書いておいた。

夏休みの宿題できず知恵袋

ギャグみたいな句だが、 自分では結構秀逸だと思っているのである。 どのへんが?

これを次のように書いてはぶち壊しだ。

夏休み宿題できず知恵袋

あるいは、

夏休み宿題できずに知恵袋

どっちでもいいが、俳句は5+7+5の世界。 つまり、最初は5文字のはずである。 ところが、「夏休みの」の句は、 最初に6文字出てくる。 これは、終わるはずの最初の句が終わらない、 ということで夏休みが終わったのに宿題が終わらないという不安定な状態を表しているのである。

だから、これを声に出して読むのなら、

なつやすみの・・しくだいできず・ちえぶくろ

「し」は「しゅ」と読んで欲しいのだが、リズムとしてこれで1拍ということで1文字にした。 この読み方ではいけないのだ。 むしろ、こう読んで欲しい。

なつやすみ・・のしくだいできず・ちえぶくろ

何なら「の」はもっと遅くてもいい。 もしこれと同じような雰囲気を持たせつつ、 初句を「夏休み」で止めたいのであれば、

夏休み宿題ができなくて知恵袋

これくらい字余りにするのがよい。 さて、あと9句。 この人は揃えることができたのだろうか。